この『志免 竪坑櫓(たてこうやぐら』が残る「旧志免鉱業所」は
明治時代の海軍が軍艦の燃料として全国各地の炭質を調査し志免の隣、
現在の須恵町新原 当時の新原村の新原炭が優れていることを発見
明治22年(1889)海軍予備炭山に指定され須恵町新原に第一坑が開坑。
翌明治23年(1890)には海軍の「新原採炭所」となり
(明治33年官制変更により「海軍採炭所」と改称)
海軍直営による石炭採掘が開始され明治39年(1906)志免村に
第五坑(竪坑櫓が有るところ)が開坑され第八坑まで開設される。
ちなみに須恵町の「県立須恵高校」は第六坑のボタ山の跡に建っています。
以後終戦まで海軍の採炭所として運営されたいたのが。
敗戦により海軍省が解体され昭和20年(1945)から「運輸省門司鉄道局志免鉱業所」
として発足し、昭和24年(1949)運輸省の機構改革で世界的にも珍しい我国唯一、
一貫した国営炭鉱「日本国有鉄道志免鉱業所」となり昭和39年(1964)6月全坑閉山しました
ですから私は若い頃は
須恵町の新原炭坑(第一坑)が旧海軍炭坑
須恵町の(第六坑)と志免炭坑(第五坑)が旧国鉄炭坑・・・・と思っていました
一緒だったんですね(笑)
第二、三、四,七,八抗については私は知りません
志免竪坑櫓と立坑について 竪坑櫓を囲む柵に写真がありました
『鉄筋コンクリート製で、高さ53.6m、長軸15.3m、短軸12.25mのワインディングタワータイプ(塔櫓捲式)。
第 八 抗 本 卸 抗 口
(だいはちこうほんおろしこうぐち)
第 五 抗 西 側 抗 口
(だいごこうにしがわこうぐち)